パリ社交界のサロン・コンサート

「パリ社交界」に「フランス宮廷」や「各国大使館」は含まれるのか?

読者が「パリ社交界」と聞いて、まず思い浮かべるのは何でしょうか? 時の「フランス宮廷」でしょうか?あるいはヨーロッパ主要国が競ってパリに置いた「大使館」でしょうか? HP「アルテの泉」の中の「音楽サロンの研究・出版」でご紹介した書籍「19世紀パリのサロン・コンサート」では「パリ社交界」の中心的存在として、時の「フランス宮廷」と「オーストリア大使館」で開催された「音楽夜会」について詳細に調査・考察した結果をご紹介しています。理由は、これら宮中における音楽活動は、フランス革命後の復古王政時代においてさえ、その規模と内容において、社交界全体をリードする特徴を備えていたからです。

「パリ宮廷」と「オーストリア大使館」で開催されたコンサート→→→『19世紀パリのサロン・コンサート』(北星社 2013)

参考記事→「鹿鳴館社交」に我が国の天皇・皇族は参加し、影響を及ぼしたのか?

天皇家と皇族が戦後象徴としての役割に制限されることになった現代、これら皇室の人々が一般人の前に姿を現すのは元旦の一般参賀あるいは春の園遊会などの限定された機会のみですが、明治の鹿鳴館外交・社交の時代でさえ、我が国の最高権力者であった明治天皇・皇后は鹿鳴館の集まりに参加することはなかったようです。一部の皇族男性が政府を代表してこの外交・社交的空間に加わる事はありましたが、女性皇族は宮中の儀式的行事を務めるにとどまりました。欧米文明・文化を吸収し成長することに精一杯だった当時の日本では皇室が社交界において文化の面で指導的機能を果たすことはなかったと言えます。

「フランス宮廷音楽文化」を支え、豊かにした「パリ社交界のサロン・コンサート」

貴族・上流市民のサロン・コンサート

(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

(6)

音楽家のサロン・コンサート

(1)

(2)

(3)

(4)

音楽関係者のサロン・コンサート